2022年12月21日
SKYシニア大学
能と人生「世阿弥の言う『初心忘るべからず』の真意と老い」-人生100年探究心コース-
講師は能楽師観世流シテ方の河村晴久氏で、時に能の発声を聞かせて頂いたり、興味深いお話です。
世阿弥が「花鏡」でいう「初心忘るべからず」は結婚披露宴の挨拶に使われる「はじめの志を忘れてはならない」といった意味で理解されていますが、世阿弥の言う「初心」は「初志」に限られていません。若い時の初心、人生の時々の初心、老いて後の初心など世阿弥は人生の中に幾つもの初心があると言っています。 例えば、若い時の初心とは若くて心身ともに充実し、周囲に素晴らしいと認められる時期でもあります。しかし世阿弥は世間に認められても継続して努力をし続けないと人間は失敗すると。 そして、老後の初心とは、老いによる芸など様々な限界にぶつかった時に、それに応じた自分の生き方、老いの経験をどう活かし、人生の花を咲かせていくかを考えよと言っているというのです。
父である観阿弥が死の何日か前に舞った申楽がことに花やかだったことを例に引いて、老いて「まことの花」を咲かせることの大切さをお話されました。
・是非の初心忘るべからず
・時々の初心忘るべからず
・老後の初心忘るべからず
因みに、伝統芸能の一つ、幸若舞の「敦盛」からその一節に、「人間五十年、化天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり(たった五十年の人生は、化天の人々にくらべれば、夢や幻のようなものだ)」とあります。 「敦盛」は、戦国時代の武将、織田信長が好んで舞った曲ですが、能とは少し違うようです
文/伊藤